マドラス100年の歴史
マドラス株式会社は、1921年(大正10年)5月18日の創業以来、
「本物の履き心地 」を求めて、ひたむきに靴作りを続けてきました。
そして2021年に、創立100周年を迎えることが出来ました。
これもひとえに、お客様をはじめとする多くの方々の
永年のご支援ご愛顧の賜物と、厚く御礼申し上げます。
これからも私たちはお客様に喜んで頂けるよう、1足1足丹念に靴を作り続けて参ります。
初代岩田武七が屋号「中島屋岩田武七」を開業し、陸軍に皮革製品などを販売。
時代の一歩先を見据え、イギリスより蒸気自動車を輸入し、泥江町から本町の間で名古屋初の乗り合いバス事業を開始。
二代目岩田武七が「合名会社岩田商店」として法人化。
軍靴の底につける金具(底金)を鍛鋳鉄で製造するために春日井に工場を新設。
二代目岩田武七は、「これからは草履ではなく靴の時代が来る」と考え、5月18日に亜細亜製靴株式会社を創業(現 名古屋市瑞穂区豆田町)。米国からグッドイヤー・ウエルト式製靴機械を輸入し、民間用の紳士靴の量産を開始。
東京支店を開設。
関東大震災以降、復興に伴ない都市化が進んだことから洋装が普及。革靴の需要が激増し、全国の下駄屋などに行脚して靴の取扱いを広める。
1930年代に名古屋市中区栄の中心地に、業界に先駆けて亜細亜製靴直営小売1号店「アジアの靴」を開店。
新事業の一つとして、下呂温泉に「湯之島館」を建設。
ドイツ、イギリスなどから最新式製靴機械を輸入し、コンベヤーシステムを採用。 マッケイ式製靴の生産を開始。
陸軍工場に指定され軍靴の生産を開始。
終戦と共に軍靴生産から、本来の民需靴生産に切り替え、終戦後の国民生活の安定に寄与。
madrasブランド誕生。イタリア・ベネチア郊外のバッサノ・デル・グラッパにて、バレンチノ・ピコロット氏によりバレンチノ・マドラス社が創立され、madrasブランドが誕生した。その後、イタリア最大の靴メーカーへと成長。
初期の頃に生産していた靴は、高品質のキッドを使用した手縫いのモカシン。この高級素材はイタリアで鞣すのだが、原材料となる原皮はインドのマドラス地方で入手できるものだった。 この高品質の革を生産する地"madras"に敬意と感謝を持って社名にした。
madrasのシンボルマークは、ベネチアのシンボルである 「Leone Alato」(有翼の獅子)(羽根の生えたライオン)が基になっている。 ベネチアの翼付きライオンに地球儀を加えたのは、"madras"というブランドや商品が世界へ 浸透していけますようにという願いが込められている。
全国に直営小売店を展開をするため、株式会社アジアの靴を名古屋市中区栄の中心地に設立。
直営店「アジアの靴 本店」を同地に開店。
※ 改装後の写真岩田孝七社長就任。
大阪営業所を開設。
1950~1952年 東京都優良靴技術協議会で3年連続受賞
第1回優勝
第2回通産省雑貨局長賞
第3回東京都知事賞
欧米視察に基づき、世界最新の製靴機械を導入。
セメント式製靴機械を導入し、婦人靴の生産を開始。
「アジアの靴 地下鉄名駅店」OPEN
1950~1970年代、東海地方を中心に「アジアの靴」を全国に展開。
※ 改装後の写真製品の安心・安全、高品質の基準を満たし、日本工業規格(JIS)工場に指定される。
福岡営業所を開設。
伊勢湾台風による名古屋市の被災時に、救援活動に携わり復興に尽力し、名古屋市長より感謝状を授与。
亜細亜製靴株式会社からアジア製靴株式会社に社名変更。
アジア販売株式会社を設立。
イタリア最大の靴メーカー「バレンチノ・マドラス社」と、日本のアジア製靴株式会社(現:マドラス株式会社) の技術提携により、日本にmadrasブランドが上陸。日本全国の百貨店・専門店にて取り扱われるようになった。
イタリア・マドラス社との提携によりマッケイ式製靴が主力となる。
1968~1974年、米国、グアム、香港などへ積極的に海外輸出に取り組み、通産省より輸出貢献企業として表彰。
中国国交正常化に先駆けて、広州交易会にて中国製靴輸入契約に調印。
1970~1980年代madrasブランドとして、ミラノ旗艦店をはじめ、フィレンツェやバッサノ・デル・グラッパなどイタリアで数店舗の路面店を展開。
マッケイ式製靴を主軸とした一宮工場を開設、生産開始。
1976~1978年 ヒデとロザンナを起用して、マドラス初のテレビCMを放送。
1976~1985年 madrasブランドとして、イタリアにてファッションショーを開催。
岩田孝七社長が藍綬褒章を受ける。
アジア販売株式会社をレデイマドラス株式会社に商号変更。
1978~1990年代、イヴ・サンローラン、ランバン、ランセル、アクアスキュータム、トラサルディなど数多くのライセンスブランドと契約の元、製造販売を行い百貨店などに販路を拡大。
日本初出店 マドラス直営小売店「マドラス 渋谷109店」をOPEN
カジュアル強化と代理店政策推進のため、スポーツマドラス株式会社を設立。
東京都台東区浅草にマドラスビルを竣工し東京支店を移転。
アジア製靴株式会社からマドラス株式会社に社名変更。
米国初出店 ロサンゼルス・ビバリーヒルズに、「マドラス ロデオドライブ店」をOPEN
札幌支店を開設。
ウェアやバック・ベルトなどのトータルファッションを展開するマドラスファッション株式会社を設立。
岩田孝七社長が瑞宝章を受ける。
岩田孝七社長が従五位を受ける。
原田昭一社長就任。
第1回マドラスイメージレディコンテスト開催。
第2回マドラスイメージレディコンテスト開催。(優勝者 中村あずさ)
第3回マドラスイメージレディコンテスト開催。(優勝者 高岡早紀)
1985~1990年日本でテレビCMを放送。(岡田真澄・高岡早紀などを起用)
madrasのディフュージョンライン「MODELLO」を発表し、イメージキャラクターにチャーリー・シーンを起用して、テレビCMを放送。
ブラバムF-1チームとスポンサー契約。
全世界のmadras商標権を、イタリアのバレンチノ・マドラス社より譲受。
山中一馬社長就任。
百貨店事業部を独立させマドラスインターナショナル株式会社を設立。
営業部門を独立させてマドラスコーポレーション株式会社を設立。
北海道地区の各部門を独立させ北海道マドラス株式会社を設立。
篠田賢治社長就任。
物流部門を統合し、一宮物流センターを開設。
愛知県名古屋市中区栄の中心地に本社機能を移転。
大口工場を新設し、名古屋市瑞穂区豆田町から本社工場機能を移転。
GORE-TEX ファブリクス搭載のブランド「madras Walk」発表。
岩田誠三社長就任。
「マドラスメンズセレクション 八重洲地下街店」OPEN
岩田栄七社長就任。
北海道マドラス株式会社をマドラスコーポレーション株式会社に吸収合併。
株式会社アジアの靴をマドラスファッション株式会社に吸収合併。
「マドラス 栄久屋大通店」OPEN
マドラスオーダーシューズシステム"MOSS"を開始。
アウトレット初出店 「マドラス あみアウトレット店」OPEN
直営ECサイト「madras shoe-style」OPEN。
岩田達七社長就任。
マドラス株式会社創業90周年を迎える。
旗艦店「マドラス 銀座店」OPEN
マドラスコーポレーション株式会社、マドラスインターナショナル株式会社、スポーツマドラス株式会社をマドラス株式会社に合併。
「マドラスレディスセレクション 栄地下店」OPEN
マドラス株式会社東京支店を東京本社と改称。
香港アジアパシフィックレザーフェア紳士靴部門で大賞を受賞。
クラウン製靴株式会社を事業譲受。
マドラス株式会社、レデイマドラス株式会社、マドラスファッション株式会社の3社に組織改変。
東京本社内に、madras、MODELLOのショールームを新設。
「マドラス 栄地下店」OPEN
「マドラス 長島アウトレット店」OPEN
香港初出店「マドラス 香港そごうCAUSEWAY BAY店」OPEN
モデロブランド初出店 「モデロ 流山おおたかの森S・C店」OPEN
東京本社内に、日本のモノづくり発信基地として「madras TOKYO FACTORY」を開設。
ミズノ株式会社とのコラボレーション「マドラスウォーク ミズノセレクト」を発売。
関西初出店 「ワールドシューファクトリーマドラス 大丸心斎橋店」OPEN
「モデロ ららぽーと愛知東郷店」OPEN
アウトレット3店舗を同時期にOPENするなど、小売事業を拡大。
マドラス株式会社創業100周年を迎える。
madrasブランドは、現在も拡大し続けています。